先日2週間ほどアメリカに仕事で行っていた。
僕は18から6年ほどサンフランシスコ・ベイエリアに住んでいたから、里帰りにもなった。
その当時お世話になった人たちの何人かはもう亡くなってしまっているのだけど、その人たちの子どもや孫たちとは今も家族ぐるみで交流している。
仕事の合間を縫って、そんな人たちに会いに行っていた。
アメリカは僕の原点であり、そういう意味ではいつだって僕の心を刺激してくれる何かと出逢える。
そんな人脈の中で、アートスクールを運営している人たちと接してきた。
スクールを運営している彼らも、自身がミュージシャンであり、芸術家であり、だから彼らとのコミュニケーションがなにより刺激的だった。
僕のやっている催眠哲学ポッドキャストにもゲスト出演してもらったから、そのうちその音源も聴けるだろう。
整音してアップされるのを僕も楽しみにしている。
彼らは芸術をもっと身近なものに、芸術家という特別な感性の人間たちだけのものではなく、普通の生活に、誰の人生にも必要なものとしての芸術という価値観を広めようとしている。
子どもたちに芸術を教えているのもそのためだ。
芸術は素晴らしいものですと、伝えたいのではなく、人生に芸術は必要であるというのが彼らの主張だ。
人生はタフで、いつだってつまずいたり、挫折したりする可能性がある。
失敗なんて当たり前で、その失敗から多くを学んで前に進んでいくのが人生だ。
その失敗で、落ち込んだり、心が折れてしまっては、実りのある人生は難しくなってしまう。
そんな時に芸術が大事なのだ。
芸術というから構えてしまうかもしれないけど、要するに、心が塞いだ時、自信を失った時、落ち込んだ時、何があなたの心を癒してくれるか。元気にしてくれるものは何かということ。
それは、音楽や絵や物語なのではないか。
音楽を聴くことであり、音楽を奏でることであり、歌うことであり、歌詞を口ずさむことであり、鼻歌を歌うことである。
絵を見ることであり、絵を描くことであり、落書きすることである。
そう彼らは主張する。
まったく同感だ。
よくアートやエンターテイメントは、なくても生きていけると言われる。
絶対必要なものではない。けど、最も重要なものである。
でも、もしかしたら、タフな人生を生き抜くためには欠かせない、絶対不可欠なものかもしれない。
写真の奥PIANOも壁もアートとして自分たちで塗っている。
壁の絵もLauren(右)が描いたもの。
アートの中に暮らしがある。
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