ステージ催眠ショウTVへの挑戦

 

英語が話せることからTBS特番の「史上最強の催眠術師マーティンst.ジェームス」の通訳兼アシスタントに大抜擢された。最初は催眠術は通訳を介しても可能かという企画だった。しかし、本職の通訳で完全に失敗したことから、英語の堪能な俳優が選ばれたという経緯もあったので、ジョイも最初から通訳としては勝負せず、マーチンの催眠術から自分のスタイルを生み出して、ショウをアシスト。催眠術自体はジョイの話す日本語で行うので、結果的にはジョイのステージ催眠ショウのようになって企画を大成功させた。特番は高視聴率でシリーズ化され、2時間半の大枠特番となって、ジョイも一躍メジャーになる。ジョイが通訳を降りるまで3年間高視聴率でシリーズは8弾まで続いた。

 

この番組に関わることになったのは、事務所からきたオーディションの連絡だった。英語が話せる俳優という条件でご連絡いただいたのでTBSへ行くようにと指示されただけだった。いよいよ英語を話す役、国際俳優の道が開けるぞと、ドラマのオーディションのつもりで臨んでみたら、それがステージ催眠の通訳だった。番組の説明の途中にも関わらずジョイは辞退を申しでた。催眠術はまやかしのトリックだと思っていたし、オカルト的で怪しい世界がジョイは好きではなかった。そう言わず最後まで参加してほしいとプロデューサーに言われ、後で事務所から小言を言われるのも嫌だから、そのまま最後までオーディションを受けた。英語を訳したり、指示された演技をしたりしたという。ひと月ほどして忘れていた。しかし、オーディションに合格したと連絡が来た。このときもジョイは断った。が、事務所に説得された。オーストラリアでステージ催眠術師のマーチンと会ってから断れと。しかし、会ってしまえば好奇心が何よりも勝ってしまうジョイ。催眠術という心理的技術で人がみるみる変わってくのを目の当たりにした。まやかしでも、トリックでも、やらせでもなさそうだ。その不思議さとその可能性の大きさに圧倒される。次第に番組の成功に力を注ぎ、通訳という立場をはるかに超えて番組に参加していく。舞台作り、衣装決め、音楽、ネタ打ち合わせ、台本作り、すべてに関わった。現場スタッフたちもそんなジョイを信頼するようになり、良いチームが出来上がっていった。その甲斐あって、失敗する可能性も決して低くはなかった企画は大成功を収める。高視聴率をとり続け、特番シリーズは正月特番も含めて8弾まで続いた。しかし、バラエティ番組の宿命で、仕掛けるネタや内容は、より刺激的なものを求められるようになっていき、かなり際どい、ドギツイネタ作りとなっていった。そうした番組作りにジョイは違和感を抱き始める。マーティンに相談するも、マーティンは日本語もわからず、日本のテレビ文化も知らない。ジョイはひとりでその違和感を抱えていなければならなかった。意に反して番組でのジョイ自身もどんどん有名になっていく。そして、それはそのまま、“催眠術のジョイ”というレッテルが剥がすことのできないくらいに何十にも繰り返し貼られることになった。違和感のある番組の顔として有名になっていく自分に苦しめられていく。俳優の仕事でも偏見で見られるようになっていった。正直に違和感を番組の首脳陣に伝えてみたが、かえって孤立させられてしまう結果になった。TBSのドラマには出れなくなるよと言われたこともあった。それならそれでいいと、かえって覚悟が決まったという。番組は終了。ジョイが降板したことで、別の通訳でも試みてみたが、番組として成り立たなかった。マーティンの横にはジョイという画がすっかり定着していたからだ。番組を降板したものの、俳優としてのジョイの居場所はもう青年座には残ってはいなかった。ステージ催眠の経験もこのままでは中途半端となってしまう。思い切ってニューヨークへ渡る。