5月11日。僕の生まれた日。
この日は僕の永遠のヒーロー織田信長の誕生日でもある(諸説ありますが、最有力日なのです)。信長は1534年に生まれ、それから431年後の1965年昭和40年に僕は生まれた。同じく歴史上の僕のもうひとりのヒーロー土方歳三は、この日5月11日に、函館で銃弾に倒れた。1869年のことだ。
東京の港区青山で生まれ、すぐに渋谷区代々木へ移ったそうだけど、僕の記憶は、その後の代々木上原に住んでからのものがほとんどだ。六畳二間のアパート。僕は一人っ子。僕は遅くに出来た子どもだったから同学年の友だちのママやパパよりも僕の両親は歳を取っていた。そのことがなんとなく恥ずかしいと感じていたことを少しだけ覚えている。
一人っ子だったけど、その割には甘やかされもせず、潔癖症で多少ヒステリックな母親の躾は、他の親たちよりもかなり厳しかった。そのおかけで、僕は割と礼儀正しい子に育てられたのだ…と思う。でも、男の子らしく、外ではしっかり腕白でもあった。僕の子どもの頃も、すでに渋谷は充分都会ではあったんだけど、代々木公園を筆頭に思いっ切り遊ぶ事のできる豊かな自然公園が周りはたくさんあった。僕の家の近くには当時空き地なんかもあって、その空き地の真ん中には、なぜか置き捨てられた廃車のトラックが一台置かれたままになっていて、僕らの絶好の秘密基地となっていた。とにかく僕は外で遊ぶのが大好きだった。朝から晩まで外で遊び、なんでも拾ってはズボンのポケットに入れてしまうのが癖だった。母親が洗濯機を回していると、よくカナブンとか、セミとか、酒瓶のキャップやテレビのチャンネル(昔はカチカチと回してチャンネルを合わせていたんだ)が、水の中をぐるぐる回っていた。一度カナヘビ(トカゲ)が洗濯機の中で目を回していたこともあって、母親はよく怒声と悲鳴の混ざった声をあげていた。
ある冬の日、僕は木の枝に産み付けられたカマキリの卵を見つけ、大興奮でそれを枝ごと持ち帰った。その枝を花瓶に挿して部屋の中に置いておいた。家の中は石油ストーブで、すごく温かい。卵の中で越冬するはずのカマキリの子どもたちが、その暖かさに誘わ
れて、なんと家の中で孵ってしまった。枝の先から壁に移動した、孵ったばかりの何百というゴマ粒ほどの小さなカマキリの子どもたちが、壁一面を覆った。カマキリの子どもたちは、3ミリくらいの半透明な体をしている。それが壁一面でモゾモゾ動いているのを想像してもらえば分かると思うけど、虫嫌いの女性にとってのそれは、ホラー以外の何物でもない。壁全体がモゾモゾしているような異和感を覚えた母親がよく見ようと壁に近づいた。そして、それが何なのかを理解したとたんに腰を抜かした。戦慄の混ざった声で「せいいぃぃちぃぃぃ!」と僕の名前を叫びながら、何を思ったかとっさに掃除機を持ち出してきた。そして、あろうことか壁一面のカマキリの子どもたちを一気に吸い取りだしたのだ。今度は僕がショックで腰を抜かしかけた。「ママぁぁぁぁぁ、それだめぇー」と叫びながら、掃除機のノズルを振りかざしてカマキリの子どもたちを吸い取る半狂乱の母親の腕に巻きついて、なんとか阻止しようとした。でも、敵わなかった。一匹残らずカマキリの子どもたちは掃除機の中に吸い取られてしまったのだった。
あの掃除機の中へきれいに消えてしまったあの子たちの運命がどうなったのか、僕は憶えてはいない。

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