FRANから独立したぼくは一応大学へ行くために英語学校に入った。
入国したときの観光ビザが学生ビザに切り替った。
でも、勉強嫌いのぼくは、最初のうちこそ通っていたものの、しばらくするとほとんど行かなくなった。
日本人がやたらと話しかけてくるのが面倒だった。
日本人の友だちなら日本で作ればいい。
学校でいい成績を取っている奴よりも、ぼくのほうがアメリカ人と会話ができた。
もちろんそれはFRANのおかげが大きい。
ぼくの英語は、映画とストリートとFRANで磨かれていた。
学校に行かなくなったということは、そこで発行された学生ビザも失効してしまうということだ。
若く怖いもの知らずで呑気だったぼくは、そんなことは気にも留めずにそのままアメリカ暮らしを自由に満喫していた。
そのいち時期、ぼくはビザのない不法滞在者となってしまっていた。
気にはしていなかったけど、現実に影響が出た。
バイトするにしても超低賃金のものしか選択肢がなくなったのだ。
そんな中で就いたバイトは、フリーウェイ(いわゆる高速道路)の出口をいくつも超えて通勤しなければならない、アパートからはだいぶ遠方の日本料理屋だった。
不法滞在者なのだから、贅沢も言っていられない。
賃金は激安だから、通勤でかかるガソリン代のほうが高くついてしまって、働けば働くほど持ち金が少しずつ減っていった。
それでもその仕事をすると決めた。
他に選択肢もなかったし、まかないとして日本食が食べられるのが有り難かった。
ところが・・・
ある日のこと、昼間からオーナー兼料理長が酔っ払っていた。
ぼくはもうメニューのほとんどを一人でも作れるようになっていたから、オーナーも安心して緩んでいたのだろう。
別にぼくは構わなかった。
満席でも店を廻していける自信があった。
あれこれ指示されなくて済むから、どうぞ奥で好きに呑んでててください、という気持ちだった。
ところが、マズいことが起こった。
ぼくが唯一楽しみにしているまかない料理を、その日オーナーが用意していなかった。
「今日のまかないはこれだ」
と出されたのは、ご飯とツナサラダだった。
ちぎったレタスの上にツナ缶の中身がそのまま載っていた。
なぜかぼくはすごくみじめな気持ちになった。
ツナサラダに腹を立てたわけじゃないと思う。
でも、無性に、自分でもよくわからないまま腹が立った。
ぼくは一体何に憤慨しているんだろうと、頭の片隅で思っていた。
そして、途中でようやく気づいた。
雑に扱われていることに悔しくなったんだと。
そんな扱いでも大丈夫だと思われたことに怒りがこみ上げてきた。
オーナーに対してというより、そんな雑な関係に毎日少しずつ無意識に甘んじていった自分に一番腹を立てていた。
「さっさと食べて厨房に入ってくれ」
髭についたビールの泡を手で払いながらぞんざいに言われた。
その時ぼくはキレた。
「猫じゃぁねーや! 」
怒鳴ってツナサラダをテーブルから払い落とした。
びっくりしている赤ら顔のオーナーに、外したエプロンを投げつけて店を出た。
オーナーの奥さんが慌てて追ってきてくれた。
ぼくは車のドアを開け、一瞬奥さんと向き合った。
一礼して車に乗り込むと、エンジンをかけた。
一週間分のバイト代をもらい損ねた。
でも、さすがにそれを受け取るために顔を出せないぼくだった。
・・・つづく。
