■エピソード1 誕生〜幼稚園

5月11日。僕の生まれた日。この日は僕の永遠のヒーロー、織田信長の誕生日でもある。(諸説ありますが、最有力日なのです)
彼は1534年、天文3年。僕はそれから431年後の1965年、昭和40年に生まれた。
渋谷区代々木で生まれ、青山にもいたらしい。でも、僕の記憶には、代々木上原に住んでいる頃からのものしかない。六畳二間のアパート。僕は一人っ子。僕は遅くに出来た子どもなんだけど、その割には溺愛された記憶はあまりなく、母親の躾も他の親たちより厳しかった。そのおかけで、僕は割と礼儀正しい良い子に育てられていた...と思う。ただし、男の子らしく、しっかり腕白でもあった。僕の子ども時代から、渋谷は都会ではあるんだけど、代々木公園を筆頭にたくさんの緑豊かな自然が周りあった。僕の家の近くには、珍しく空き地なんかもあって、とにかく僕は外で遊ぶのが大好きだった。外で遊び、なんでも拾ってはズボンのポケットに入れてしまうのが癖だった。

昆虫も大好きで、母親が洗濯機を回していると、よく、カナブンとか、セミとかが、酒瓶のキャップやテレビのチャンネル(昔はカチカチと回してチャンネルを合わせていたんだね)とともに、水の中をぐるぐる回っていたらしい。トカゲが洗濯機の中で目を回していたこともあったとか。ある冬の日、僕は木の枝に産み付けられたカマキリの卵を見つけ、大興奮で枝ごと持ち帰った。その枝を花瓶に挿して部屋の中に置いておいたのだけど、家の中は石油ストーブがついていてすごく温かい。冬を卵の中で越すはずのカマキリの子どもたちが、家の中で孵ってしまった。枝の先から壁に移動した、孵ったばかりの何百という小さなカマキリの子どもたちが、壁一面を覆ってしまった。カマキリの子どもたちは、3ミリくらいの半透明な体をしている。それが壁一面で動いているのだ。想像してもらえば分かると思うけど、虫嫌いの女性にとってその光景は、ホラーよりもきっと怖いはず。壁全体が微かに動いているような違和感を持った母親は、最初目の錯覚かと思って壁に近づき、それが何なのかを理解したとたん腰を抜かしかけた。戦慄と怒りの混ざった声で「せいいちぃぃぃ!」と僕の名前を叫びながら、とっさに掃除機を持ち出してきて、壁一面のカマキリの子どもたちを一気に吸い取りだした。今度は僕のほうがショックだ。「ママ、だめぇー」と叫びながら、掃除機のノズルを振りかざしている半狂乱の母親の足に巻きついてなんとか阻止しようとした。でも、無理だった。一匹残らずカマキリの子どもは掃除機の中に吸い取られた。その後、掃除機の中に納まったあの子たちの運命がどうなったのか、僕は憶えていない。

母親から聞いた話をもうひとつ。僕はとにかく機械の付いた車が大好きだったそうで、たとえばバスの運転席に付いている乗車料金の小銭を入れる機械だとか、消防車のむき出しの計器類とか。母親が困ったのは、近所にバキュームカーが来るときだった。(僕の家は水洗トイレだっただけど、当時は渋谷でもまだ汲み取り式なんかがあったんだね) 

バキュームカーが家の前に停まっていると、普通は匂いが漂ってくるからどこの家も窓を閉めてしまう。ところが、僕はそのバキュームカーを見たい。運転手さんがズルズルとホースを伸ばして、ガチャガチャとレバーを操作するのを生々しく間近で見ていたいのだ。だから、僕はアパートの2階にある窓の桟に腰かけ、手摺の柵の間から二本の足を垂らしたまま、手摺にひたいを押しつけてじっと見るのが好きだった。その間、なんとなくプ〜ンと匂ってくるあの臭いが家の中に侵入してくる。母親はタオルで口元を押さえなければならない。僕は、時々ゴボッなんてホースが脈打つたびに「うわぁ」なんて興奮していたそうだ。

一人っ子だから、外で友達と一緒のとき以外、遊んでくれる人が基本的にはいない。自然と僕はひとり遊びも上手にならなくてはいけなかった。絵を描くのが好きだった。家にいるときは、ひたすら画用紙に絵を描いていた。あるとき画用紙が無くなって、母親が代わりに原稿用紙を差し出したら、僕は升目のなかに何かを書いていたり、升目を何かに見立てて絵を描いたりして、思いのほか喜んでいたらしい。それ以来、母親が原稿用紙を渡すと、いつも数時間まったく集中力を途切らすことなく、僕はひとりで遊んでいたそうだ。
そのころから、僕は画用紙で自分の考えたゲームを作ったりしていた。人生ゲームのようなスゴロクみたいなものも作ったし、ティッシュペーパーの箱を立体的に使って、ドライビングゲームなども作った。
僕の記憶の中には、家にいる父親の姿がほとんどない。ひとつ幼年期の記憶にあるのは、飼っていたシマリスを部屋の中に出して遊ばせていた時のことだ。そのシマリスを捕まえようとして、走るシマリスを父親が取り押さえようとしたら、リスのほうがすばしこかったために父親のタイミングが少し遅くなって、リスの尻尾をギュッと握ってしまった。そのためにシマリスのあのふさふさの毛を全部むしり取ってしまい、あとにはネズミみたいにヒョロっと伸びた一本の尻尾だけが残った。シマリスが可愛いのは、ふさふさしたあの大きな尻尾が何よりのポイントなのだ。その尻尾がネズミみたいになってしまったシマリスは、なんだかもうシマリスでは無くなってしまって別の生き物みたいだった。僕は大騒ぎで泣いた。父親はひたすら謝った。僕が憶えている父親の最初の記憶は、シマリスの尻尾事件だった。

シオン幼稚園という私立の幼稚園に入った。母親がクリスチャンだったことはあまり関係ないとは思うけど、けっこう敬虔なキリスト教の幼稚園だった。毎週、首から下げた毛糸のコイン入れに五十円玉を入れて日曜学校に通って、その五十円を教会に募金する。讃美歌を歌って、帰りに聖書の一節が書かれたカードをもらうのが楽しみだった。いろんなタッチの宗教画が描かれていた。大抵はヨハネとかマタイとかが輝く光の中で、貧しい人たちに話をしているシーンだったけど、時々かわいらしい羊とかのイラストが描かれていて、そういうのが僕のお気に入りだった。僕は家に帰ると、そのカードの絵を画用紙に描き写したりして遊んでいた。
幼稚園で僕は大きな絵を描いて『ネコのノラ』という紙芝居を発表した。僕が人前で自分の作品を発表した最初の体験だったかもしれない。
シオン幼稚園で最初の友達は、Sくんだった。Sくんは当時の日銀総裁の孫だったそうで、(子どもにとって、日銀総裁がなんなのか、その孫だからどうなのかは、まったく関係ない)
遊びに行ってみたら、すごい豪邸に住んでいて驚いた。Sくんは、僕が接した初めてのお金持ちだったんだ。
「ママ、おトイレがひとつじゃなくてね、いっぱいあったよ」
お金持ちとの最初の遭遇で、僕がもっとも感心し、興奮したのは、そんなところだったようだ。(エピソード2へつづく・・・)